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【イベントレポート】311から13年、福島『ふたば、ふたたびツアー』

東日本大震災から13年、

福島県の復興、再生がどのくらい進んでいるのか、自分の目で確かめたく、環境省が行っている『ふたば、ふたたびツアー』参加しました。             

 

福島県浜通りにあるJヴィレッジからスタートし、中間貯蔵施設加倉スクリーニング場道の駅なみえ震災遺構浪江町立請戸小学校東日本大震災・原子力災害伝承館を回ります。参加者は60人弱、2台のバスに分かれて出発。とても人気のツアーで去年の倍くらいの参加人数だったためバスから降りて見学できる場所は2カ所に限定され、あとはバスの中から見学しました。

バスを運行してくださっているのは、震災当時バスで避難された方々のお手伝いをされていたバス会社でした。13年経ち、このような繋がりがあることを知りました。

 

本レポートは主に降りて見学した、中間貯蔵施設と請戸小学校を中心にお伝えします。

 

東京電力の事故により放射線物質が広がり、今もなお福島県内では除染活動が行われています。

 

中間貯蔵施設とは、

福島県内の除染で発生した土壌や廃棄物を最終処分するまでの間、安全かつ集中的に貯蔵するための施設です。

浜通りに位置する相双地区を通過、大熊町と双葉町の方々が生活されていた場所は梨園やキウイを拵えていた地域でした。

福島第一原発事故の後、放射性物質で傷ついた環境を回復させるために除去された土壌が管理されています。

 

アスファルトの大地を仮置き場として、除去土壌は緑のシートが掛かっており県内に1400カ所置かれ、分別施設にて分別作業が行われています。

 

美しい山々の手前に広がる現実の壁、未来に向けての大きな課題

左右の白い建物が中間貯蔵施設

 

東京電力福島第一原子力発電所から3キロ圏内、高台から眺められるようになっている

 

受入・分別施設での工事の流れ

 

お借りした放射線測定器にて計測体験もできる

 

中間貯蔵施設に持ち込まれた土壌は約1,400万㎥、東京ドーム11杯分にあたります。900世帯2,700人くらいが住まれていた地域であり、半日でも回り切れない広さは想像を超えたものでした。大量にあるフレコンバックに包まれた除去土壌は1袋1袋破いて裸にし分別する作業行います。そのうち濃度の低い土壌は再生する流れになっているとのこと。

分別作業は2015年3月から開始されており、9年が経過しています。見学できたのはごく一部であり、空が晴れているのが物悲しく、少し雪が舞うその日は何とも言い難い、未来があるのか疑問に思う景色でした。

 

除去土壌のこれから 再生されるのか?

 

除去土壌のうち線量濃度の低い土壌の7~8割は道路の下地になる予定です。その試験をする場所があり、バスの中から見ることができました。

ベルトコンベアで運ばれた土の山は幅50m、半分は生のままの土を利用、もう半分は土の強度を増す加工をした土、その上にダンプなどを走らせて道路沈下などの試験を行っています。どのような環境でどのように働かれているのか、見学した日は日曜のため、働く方を見ることはできませんでした。再生土壌の使い方として、種が植えられる土もあります。再生土壌の上に咲く花、その景色はどうみえるのか?、再生土壌を使って造られる道路は、地震が起こったら強度や地割れの程度はどうなのか?など大変気になる試験場でした。

 

除去土壌再生利用の試験場

 

除去土壌以外にも家屋の解体、木等いずれも焼却されます。歴史も風化しないよう、中間貯蔵施設の区域内にある遺構施設も巡ります。

福島県内で発生した除去土壌等について

 

海抜4~5m 残された研究所

 

浸水地域 公民館の半分が崩れる

 

 

特別養護老人ホームのサンライトおおくま その奥には東京電力福島第一原子力発電所も眺めることができる

 

 

福島第一原発から3キロ圏内にある特別養護老人ホームサンライトおおくまは 約100名、職員40名くらいの方が生活しており、高台からは海も見える人気の老人ホームでした。避難されてから13年間、駐車場には停められたままの車がそのまま残っています。

 

フレコンバック1つ1つにタグが付けられ管理されている

 

あの日、あのまま、時が止まっている

 

 

見学1回の放射線による被ばく線量は1マイクロシーベルト程度、レントゲン撮影よりも低いとのことでした。 

 

道の駅なみえで昼食をとり、浪江町立請戸小学校へ移動。浪江町は20-30代の企業や若い方の移住者が増えてきているそうで、活気を感じました。

 

ふくしま応援ポケモンの「ラッキー」をモチーフにした公園も隣接

 

全員が無事に避難できた奇跡の小学校

 

震災遺構浪江町立請戸小学校の近くには漁港があり、地場の海鮮がそろう地域です。

当時、小学校には93名の生徒がおり(うち1年生は早めに帰宅)全員無事に避難できた奇跡の小学校と言われています。

伝承していくために遺構施設となった今は建物の中まで入ることができ、時の流れとともに、数年前訪れたときよりも見学がしやすいように整備されていました。目に映る姿からは当時の悲惨さが伝わり言葉にならない恐怖感があります。

 

津波がどこまで浸水したのかが分かる

 

当時の状況を伝える看板が各所にある

 

壁から引きはがされた複合盤

 

崩れた壁と剥がれなかった節電シール

 

津波により曲がった蛇口

 

2階には当時の状況が分かる写真が複数展示

 

しっかりとした受付窓口ができていた

 

請戸漁港では1/3程度の船が再スタートし頑張っているそう。家も船も漁港も流された地域、この日は請戸小学校から中継するメディアが多く来ていました。

 

能登地震もあった今年は他人ごとではなくなり、自分の身に起こったらどうなるのか、より考えるようになりました。改めて津波の脅威を感じ、言葉では伝わりづらい恐怖も、ここで見て知るのことが一番の説得力を持つと感じた場所でした。

 

 

福島県内の除染作業により発生した除去土壌は、2045年3月までには中間貯蔵施設から搬出する(福島県外で最終処分する)ことが法律で定められています

 

今日見た景色と聞いたお話で体がズドーンと重くなり、無理でしょ?という率直な感想と、長い長い時間が掛かること、2045年以降も私が生きている間にどれくらいの景色が変わるのか、途方もない気持ちになりました。

百聞は一見に如かず、あの時、あのままの姿を見ることで、また311を思い起こすことができました。

犠牲になられた方々とそのご家族へ哀悼の誠を捧げるとともに、寄り添い、力になれることをやりたいと思います。

 

 

■ふたば、ふたたびツアー

https://www.env.go.jp/press/press_02666.html

 

 

撮影/執筆

アーティスト担当 早川やよい

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